切絵との出会い

宇宙へのあこがれ

「この一歩は小さい。しかし人類にとっては偉大な一歩だ。」

1969年7月20日

全世界が固唾をのんで見守る中

『アポロ11号』のアームストロング船長は

『イーグル着陸船』の梯子を下り

人類史上初めて、月面を踏みしめたのでした。

重力は地球の1/6

重い宇宙服を身に着けたアームストロング船長と

オルドリン飛行士は、文字通り月面を

『うさぎ』のように飛び跳ねる様子に

全世界が驚愕しました。

そのころ、小学校2年生だった私

小学校入学直後に、父の転勤のため

山口県山口市に移り住み

広い庭の真ん中の小さな官舎で、家族とともに

白黒テレビの前に釘付けになったことを、覚えております。

ある日、父が買ってきた、『アポロ11号』の報道雑誌

夏休みの自由研究に、この特集記事を資料とし

『アポロ11号』の軌跡を描いた『画集』を制作しました。

テキサス州ヒューストンの発射台から
轟音と煙とともに発射される『サターン5型ロケット』

大気圏を脱出し、ロケット切り離し後
ランデブーする『コロンビア司令船』と
『イーグル月着陸船』

月周回軌道から『コロンビア司令船』から分離し
『静かの海』に軟着陸する、『イーグル着陸船』

月面に立ち、誇らしげに星条旗を掲げる
アームストロング船長と、オルドリン飛行士

大気圏への再突入で、赤茶けた表面を
浮輪で包み、真っ青な太平洋の波間に浮かぶ
『コロンビア司令船カプセル』

10枚近い作品を画用紙に描き

表紙をつけて綴った渾身の画集

クラスでは大変、話題になり

担任の先生も、褒めてくださいました。

あの科学少年の、ホリ君にして

「僕、その画集、欲しい!!」

と言わしめたほどでした。

この頃から、私は、自分が

『絵を描くことが好きである』

と自覚するようになったのでございます。

初めて見た切絵に驚愕!

小学校4年で、再び東京に帰ってまいります。

転校生という身分にも、もう慣れっこでございます。

そして月日は流れ

中学2年生の頃、仲間たちの間で

『BCLブーム』が沸き起こります。

『BCL』というのは、海外短波放送愛聴者のこと

まだ、世の中に パソコンもインターネットも

出現していない時代のこと

ラジオを通して、海の向こうから
ノイズ交じりに聞こえてくる肉声や音楽は

夢をおおいに掻き立てるものでございました。

また当時は、日本語放送を行っていた放送局も
多く存在しました。

ラジオ・オーストラリア

ロンドンBBC放送

モスクワ放送

ドイチェ・ベレ

アンデスの声・・・

その国のニュースや、トピックス
流行している音楽を

日本に居ながらにして、キャッチできるのでございます。

そして、『BCL』のもう一つの楽しみが

『べリ・カード』でございます。

放送を受信し、『受信報告書』を書いて

エアメールで放送局に送りますと

返送されてくるカードでございます。

『べリ・カード』もさまざまで
その放送局の特徴が、色濃く出ております。

たとえば、モスクワ放送

冷戦時代の真っただ中
『鉄のカーテン』に閉ざされたソ連から
送られてくる『べリ・カード』には
モスクワの美しい街並みが、描かれておりました。

ある日、北京放送から送られてきた
『べリ・カード』

分厚い封筒の中には、『べリ・カード』の他に

番組表

北京放送バッジ そして

パンダの切絵が、同封されておりました。

メタリックブルーの折り紙を
ハサミで切った、繊細な細工

これほど美しい細工が、この世にあるのだろうかと
衝撃を受けたのを、今でもはっきりと
覚えております。

これが、『切絵』との出会いでございます。

その時はまだ、自分が、生涯をかけて
この技法に取り組んでゆくとは

夢にも思わなかったのでございます。

*パンダと少女たちの切絵は実際に北京放送様からお送りいただいたものではなく、私の記憶から再現したものです。

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