小林多喜二も逗留-七沢温泉の老舗福元館で山の幸をいただく



『相模の奥座敷』と謳われる『七沢温泉』

『神奈川県』では『湯河原温泉』と並んで
『日本のp名湯百選』に選ばれた

由緒ある温泉郷の老舗旅館
『福元館』様に1泊2日でお邪魔させていただきました。

静かな佇まいの中に建つ
歴史を感じさせる温泉宿は

『横浜』の中心部から
数時間でたどり着けるとは思えないほど

情緒あふれる癒しの場所でございます。

創業は幕末の頃



『福元館』様がこの地に温泉宿を営まれたのは
1856年-安政2年のこと

幕末から明治維新へと
『日本』の歴史のなかで
もっとも劇的な変化を遂げた時代のひとつと申せましょう。

また昭和6年には
『プロレタリア文学者』として有名な『小林多喜二』が逗留し
小説『オルグ』を執筆した離れが
今も残っております。

落ち着いた雰囲気の和室



私達夫婦が『福元館』に到着しましたのは
午後2時40分頃

チェックインまでまだ時間がありますので
広間の椅子に座って少し待ちます。


立派な玄関には、スリッパが綺麗に並べられております。

鹿の剥製のなんと見事なこと

広間に座っているだけで
癒されてまいります。

午後3時少し前になり
フロントでチェックインを済ませ
お部屋に案内していただきます。

広間中央の大きな階段を上がりますと
2階が客室となっております。


お部屋は、落ち着いた雰囲気の和室

荷物を下ろし、浴衣に着替えて
お茶とお菓子をいただきます。

森の中の露天風呂



一息ついたところで
早速手ぬぐい片手に、お風呂をいただきましょう。

『福元館』様のお風呂は2箇所

屋内風呂と露天風呂
そして大浴場

今は屋内風呂と露天風呂が男性
大浴場が女性となっており

時間帯によって代わります。

屋内風呂は、小ぢんまりとしていますが
昔ながらの温泉という趣きでございます。

露天風呂は、フェンスの上には木々が広がり
まるで森の中の温泉でございます。

お湯は透明で
ほとんど無味無臭

暑すぎず柔らかい感じでございます。

湯上がりは肌がツルツルしてまいります。

さすがは『美人の湯』でございますな。

女性ならずとも、嬉しいものでございます。

七沢の絶品料理の数々

お風呂でゆっくりした後は
待望の夕食でございます。

大広間にまいりますと
すでにお食事の準備が整っております。

今日のお食事『弥生』のお品書きは
次の通りでございます。

先付 ワラビ浸し
前菜 胡麻豆腐
海老名唐煮
蛍烏賊彩り鉢
造里 旬のお刺身
台の物 七沢名物猪鍋
蒸し物 茶碗蒸し
焼き物 岩魚塩焼き
油物 春の天婦羅

食事 白米
香の物 三点盛
止め椀 お吸物

甘味 桜あんみつ
イチゴケーキ


地元のクラフトビール
『さがみビール』で乾杯いたします。


目にも鮮やかな
前菜の数々から
箸をすすめさせていただきます。


旬のお刺身は
『マグロ』『はまち』『サーモン』『きびなご』
『相模湾』で採れたお魚でしょうか?

身がしまっていて、新鮮でございます。


『猪鍋』は、『猪』の肉が大きく厚く
ゴージャスでございます。


『岩魚の塩焼き』は
これぞ山の幸
ほくほくの身を綺麗に平らげてしまいます。


季節を感じさせる『春の天婦羅』

お料理のボリュームも多すぎず
私達夫婦にはちょうど良い感じでございます。


締めのデザートまで
全部綺麗に完食させていただきました。

ごちそうさまでした。

小林多喜二が逗留した別棟

早朝に目が覚めまして
早速お風呂をいただきます。

今度は大浴場にまいります。

昨日の屋内風呂と比べますと
こちらは広く、ゆったりと湯船に浸かれます。

お湯の流れる音を聴きながら
窓の外の満開の桜を眺めます。

さっぱりと目が覚めたところで
朝食をいただきに大広間へ


テーブルには、山菜や湯豆腐など
色々なお品が綺麗に盛られております。

昨日は、あれほどお料理を頂いたのに
不思議とお腹が空いております。

ご飯をおかわりし、モリモリいただきました。

さて、チェックアウトまで
まだ時間がございますので

旅館の周辺を散歩いたします。

桜が満開で、大変綺麗でございます。

旅館の正面の道路を隔て
山道へと通ずる階段を登りますと

かつて『小林多喜二』が逗留した別棟がございます。


縁側のガラス越しに
書斎として使われた客間を見ることができます。


『小林多喜二』の代表作
『蟹工船』が以前
若者の間で大ブームになったことを記憶しておりますが

この作品が発表された戦前の『日本』は

思想統制が厳しく
体制に批判的な書物や記事を発表したり
演説を行ったりしますと
『思想犯』として処罰される時代でした。

『蟹工船』を発表したことで
『多喜二』も投獄されてしまい
出所したところで、この『福元館』に逗留し
この別棟で『オレグ』を執筆します。

しかしその後、『多喜二』は再び投獄され
獄中で非業の死を遂げます。

波乱に満ちた『多喜二』の生涯のなかで
この『福元館』で過ごした日々は

『多喜二』にとって
短い安らぎの日々であったに違いございますまい。