『フォルモサ』-台湾の地理と歴史概略

『台湾』は最もポピュラーな海外旅行先の一つと申せましょう。

『羽田空港』からおよそ3時間のフライト
行きやすい場所でございます。

お食事も大変美味しく
レストランでは日本語が通じる確率が
他の国々に比べて高いので
『海外旅行は初めて』
という方にも、お勧めでございます。

また『台湾』は都市や地域によって
大変特色があり、個性に富んでおりますので
何回足を運んでも、飽くことなく楽しめます。

魅力あふれる『台湾』

昔より『フォルモサ(美しい島)』とも呼ばれております。

さて、旅支度をしながら
『台湾』の地理と歴史について
おさらいをいたしましょう。

2014年12月26日(金)から30日(火)まで
私達夫婦は、4泊5日の日程で
台湾を旅しました。

台湾の広さはどれくらい?

台湾は
東経120度から122度
北緯22度から25度に広がる
美しい島国でございます。

面積は3万5千平方キロメートル。
ほぼ、九州ぐらいの広さ

おおよそ、南北に長い
楕円の形をしております。

全体面積の、ほぼ3分の2は山岳地帯で
島の中央から東の太平洋側は
険しい山々が連なります。

台湾の気候は?

気候は、島の中南部を通る
北回帰線を境界としまして
北側は亜熱帯
南は熱帯となります。

台湾の人口は、約2,400万人

一番人口が多いのは、
新北市:約400万人

次いで、高雄市・台中市・台北市が
約270万人

となっております。

台湾を発見した人は?

時に16世紀

大航海時代に
はるばる海を渡って
この地を訪れたポルトガル人

そのあまりにも美しい風景に
『フォルモサ!!(麗しの島)』
と言ったそうです。

17世紀に入り
オランダ人の東インド会社が
この島を統治します。

一方、大陸では、『明』が滅亡し
『清』が誕生します。

大陸を追われた『明』の軍人
『鄭成功』は、この島に渡り
オランダ人たちを駆逐します。

『明』復興のため
この島を、『清』への逆襲の
橋頭保としますが

その望みを叶えることなく
『鄭成功』は、この世を去ります。

その後、この島は、『清』によって
辺境ぬ地として、ゆるく統治されますが

半世紀も続いた日本の統治時代

1895年、下関条約において
日清戦争で勝利した日本に
台湾は統治されることとなります。

当時、列強国への仲間入りをはたそうと
必死になっていた日本

台湾へも、自国と同様
もしくはそれ以上の
手厚い政策を施すのです。

インフラを整備し
農業を発展させ
学校を建設し、多くの知識人を配置しました。

当初、日本の統治に抵抗していた人々も
台湾が豊かになってゆくにつれ
その気持ちも変わってゆくのでした。

 

1945年 第二次世界大戦での
日本の敗戦により
50年にわたる日本統治時代は
終わりを告げます。

悲劇の時代

中国政府に統治されることとなった、台湾

同じ漢民族同志、明るい未来を
期待していた台湾の人々を待っていたのは
あまりにも厳しい現実でした。

差別・暴行・略奪・汚職・・

 

期待を打ち砕かれた人々は
とある事件をきっかけに

1947年2月28日

時の政府に対し、一斉蜂起するのです。

二・二八事件

多くの方々の、尊い命が失われました。

 

これ以降、時の政府による
強硬な政治が行われますが

時代の流れの力とは
はかり知れぬもの

世界経済の発展とともに
台湾にも、民主化の流れがおしよせ

経済的、文化的に、
目を見張るほどの発展を
遂げるのでございます。

 

 

いまや、日本でも大人気の、『台湾』
日本からは、年間190万人の人々が
訪れるのだそうです。

旅の仕度

渡航に際しましては

パスポートの残存有効期限が3か月以上
90日以内の旅行であれば
ビザは不要でございます

電圧は110ボルト
コンセントの形状は
Aタイプですので、
日本のものが使用できます。

ただし、場所によっては
違う形状がある場合もございますので、
Bタイプ・Cタイプも
持参すると、安心でございます。

気候は、亜熱帯~熱帯でございますが
12月ともなりますと
朝晩冷えることがございます。

長袖のシャツや、セーターを
お持ちいただければと存じます。

また、お料理が大変美味しいため
ついつい食べ過ぎてしまいがちで
ございます。

念のため、胃腸薬も
お持ちいただければ
安心でございます。

私達の旅行の日程は、
以下の通りでございます。

 

1日目:羽田→台北(旅客機)
2日目:台北→花蓮(特急列車)
3日目:花蓮→高尾(旅客機)
4日目:高尾→台北(新幹線)
5日目:台北→羽田(旅客機)

 

それでは、出かけるといたしましょう。

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