リストビャンカの日本人墓地

『海水浴』ならぬ『湖水浴』の人々で賑わう
『バイカル湖』湖畔の街『リストビャンカ』

世界一の大きさと透明度を誇る湖のほとりからは
対岸は見えず水平線が広がっております。

この神秘の湖の岸辺から少々離れ
山側にある観光スポットを訪れて見たく存じます。

聖ニコライ寺院

湖畔を離れ、バスで山へと向かいます。

森の中の駐車場でバスを降り
歩いてまいります。

花壇の向こうに、ひっそりと
木造の教会が、建っております。

『ハバロフスク』や『イルクーツク』で見た教会のような
荘厳さはございませんが、

木のぬくもりを感じる素朴さに
癒されるのでございます。

教会の中に入りますと

窓から差し込む西日が
木目の美しい礼拝堂を照らします。

しばし、心静かに、佇んでおりました。

日本人抑留者墓地

バスで、さらに山の上へと移動し、
山道を歩いてゆきます。

 

森の中の墓地

ロシアの人々のお墓の億に
日本人墓地がございます。

第二次世界大戦後
シベリア抑留により
亡くなられた方々の、お墓でございます。

1945年8月15日

大日本帝国は、ポツダム宣言受諾により

大陸に進出した日本人は、武装解除され

捕虜として、ソ連各地で過酷な労働を強いられます。

粗末な食事と

劣悪な衛生環境

それに追い打ちをかけるような

極寒の冬

想像を絶する過酷さの中で

多くの人々が、命を落とされました。

 

犠牲者の数は、34万人と言われております。

2年前に訪れた、モンゴルの首都『ウランバートル』

あまりにも立派な国立劇場を見た時

『これが、はたして
過酷な労働を強いられた人々の、成せる技なのだろうか?』

と、驚愕いたしました。

 

シベリア鉄道3日目に通過した『ウラン・ウデ』

 

『ボリショイ・バレエ団』初の

東洋人ソリスト、岩田守弘さん

 

『ブリヤート・オペラ・バレエ劇場バレエ団』で
芸術監督を務めておられます。

 

このオペラ・バレエ劇場も
日本人の抑留者の方々の手によるものでございます。

 

ウズベキスタンの首都『タシケント』の
『ナヴォイ劇場』

1966年の大地震で、周囲の建物が倒壊した時も
この劇場は健在で、人々の避難場所となりました。

タシケントの人々は、この劇場を建設した
日本人抑留者の方々に、感謝の念を持っておられ

劇場の前には、友好のプレートが建っているそうでございます。

望郷の念を胸に
想像を絶する過酷な強制労働の日々の中で
命がけで、素晴らしい業績を残してくださった
先輩の方々に

心より敬意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

この『リストビャンカ』の墓地でございますが
2016年に、日ロ友好促進の一環として
美しく整備されました。

整備事業を行ったのが
『ハバロフスク』アムール川沿いの広場で見かけた
『ロシア森林開発プロジェクト・グループ』
でございます

午後5時

山を下り、再び『バイカル湖』の
湖畔に戻ってまいります幸いなことに、夕食まで

時間がございます。

この時間を利用いたしまして
『バイカル湖』を堪能いたします。

湖畔のお店で、Tシャツや小物など
お土産を購入し

市場で食材を眺め

そして再び、湖畔にまいります。

湖畔で水遊びをする人々も
そろそろ家時に辿り着く時間

日没までのひととき

世界一の透明な湖に
別れを告げることができました。

 

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