明治時代ー西洋文化が怒涛の如く押し寄せ
急速に近代化を遂げた時代の渦中
日本文化の素晴らしさを唱え
その発展に大きく貢献した人物として知られる『岡倉天心』
東京美術学校(現東京芸術大学)を創設した思想家として
また『ボストン美術館』の中国 日本美術部長として
様々な功績が今に伝えられております。
明治三十六年
西洋化の一途を辿る近代日本の動きに疑問を持ち
西洋とは異なる日本の伝統文化の精神を探求すべく
『天心』はここ『五浦海岸』に移り住み
ここを活動拠点として、志を同じくする
『横山大観』『菱田春草』『下村観山』らと共に
日本画の基礎を築き上げてゆきます。
切り立った崖や入江が複雑に組み合わさる『五浦海岸』の海岸線
海に突出した崖の上に凛として建つ『六角堂』
荒波を越えて日本文化と芸術の精神を世界に発信しようとする
『天心』の不屈の精神を表しているようです。
『五浦観光ホテル別館ー大観荘』より歩いてすぐ
『天心遺跡』を訪れました。
1 長屋門
海岸沿いの道を歩いてまいりますと
松林の下に趣のある木造平屋建ての家屋が見えてまいります。
これが『天心遺跡』の管理室と受付でございます。
門の脇の窓口でチケットを購入しまして,立派な門をくぐり庭園に入ります。
2 ウオーナー像
ハーバード大学で考古学を学んだ『ラングドンウオーナー』は
大学卒業後『天心』に師事し,『五浦』で共に日本美術の研究をします。
『ウオーナー』は第二次世界大戦中に
『奈良』や『京都』などの文化財が多く存在する都市を爆撃対象から外すよう
アメリカ政府に働きかけたとされています。
(いわゆる『ウオーナのリスト』ですが、その存在には諸説がございます。)
3 六角堂
『天心邸』からさらに下がった
太平洋に突き出たような崖の上に建つ朱塗りの六角形の館は
『天心』が自ら設計したと言われております。
『天心』はここに籠って、波打つ太平洋を観ながら思索に耽った事でしょう。
この『六角堂』
東日本大震災で津波によって大破しましたが
国の復興予算とたくさんの人々の寄付により復元されました。
『六角堂』に至る崖の上の道は細く階段も急で
さらにこの日は強い風が吹いておりましたので
少々スリルがございました。
4 天心邸
『天心』がこの地にやって来た当初
住居としていた古い料亭の木材を再利用して建てたと云われております。
広い縁側と畳の奥座敷は、見ていて心和むものでございます。
前庭の芝生は『ボストン』から取り寄せたそうでございます。
5 アジアハ一なり石碑
『天心』が『インド』で書いた『東洋の理想』の冒頭の一文が石碑に刻まれております。
『日本』『中国』『インド』など様々な国々は
文化風習も違えど『アジア』という西洋と
は異なる一つの概念で支えられているという思想です。
『太平洋』の波の音と黒松の木々を通り抜ける風の音を聴きながら
『天心』が探求した『アジア』の文化芸術に思いを馳せる次第です。