横川駅から軽井沢駅の車中で食べた『峠の釜めし』の思い出



『峠の釜めし』と申し上げれば

知らぬ人とてない程、『日本』を代表する
有名な『駅弁』のひとつと申し上げましても
過言ではございますまい。

私が学生の頃、『軽井沢』に大学の合宿施設がございまして
毎年秋になりますと、『美術研究会』の合宿で
ここを訪れておりました。

まだ『長野新幹線』もございませんで
『上野駅』から『軽井沢駅』まで
『信越本線』に揺られて旅をしたものでございます。

『軽井沢駅』も近くなる『横川駅』で
『峠の釜めし』を購入し

車窓を観ながら(と申し上げましても
ほぼトンネルの中であったと記憶しております)

焼き物の窯にぎっしり詰まったおかずとご飯を
掻き込んだものでございます。

あれから40年

『長野新幹線』で『軽井沢駅』に降り立ち
あまりにも立派になった駅舎を歩きながら

ただただ驚くばかりでございましたが

改札を抜けて左に折れますと

ありました

『峠の釜めし』の売店でございます。

両手にすっぽりと収まる
かわいらしい陶器の釜に

思わず、なつかしさがこみあげてまいります。

横川-軽井沢は鉄道の難所



『横川駅』と『軽井沢駅』の間には
『碓氷峠』が立ちふさがっておりまして

この二駅の間を結ぶ鉄道『碓氷線』が開通しましたのは
1892年のこと

総延長11.2キロの間には、18の橋梁と26のトンネルがございます。

何しろ、66.7パーミル(1000m進む毎に66.7m標高が変わる)という
驚異的な急こう配の難所が続く『碓氷峠』

この難所に鉄道を運行させるため、当時の鉄道技術を駆使して
『アプト式』(蒸気機関車の車軸の中央に設置された歯車と
線路の中央のラックレールがかみみ合って走行する方式)
という方式が採用されました。

しかしながら、この恐ろしい急こう配に加えて
トンネルばかりの行程は

まるで地下鉄の線路を蒸気機関車で走るようなもの

トンネル内にたちまち黒煙が充満し
窒息しそうになる人も出たのだとか・・

そんなわけで、1912年には

この区間は日本で初めて電化され

EF62やEF63といった電気機関車が、列車の前後に合計3台連結され
『碓氷峠』を超えていく姿は
さぞかし壮観な光景であったに違いございません。




数ある鉄道の難所の中でも、一二を争う『碓氷峠』でしたが

1997年の『北陸新幹線』の開通により

『碓氷線』は100年余りの歴史を閉じます。

鉄道技術の粋を集めて敷設され
1世紀にわたって運行されてきた『碓氷線』

日本で一二を争う難所だけありまして

その維持費も大変なものでしたが

『北陸新幹線』の開業により需要が見込めず
『第三セクター』に移行することもなく
廃線となったのでございます。

これにより、『高崎駅』から『新潟駅』まで続いていた鉄路は
『横川駅』と『軽井沢駅』で途切れる形になりました。



なるほど

『新幹線軽井沢駅』のホームの横に
かつて私が合宿で訪れた時の旧『軽井沢駅』の駅舎があり

ここが『しなの鉄道』の始発駅となっております。


時代の流れというものを感じます。


『横川駅』で、車窓から『峠の釜めし』を買い

トンネルが続く名だたる難所『碓氷峠』を行く車中で

両手に収まるかわいらしい釜の包みを開け

フタを開けるとぎっしり詰まった豪華なおかずとともに

おいしいご飯を掻き込むことは、もはやなくなったのだなあ。。

などと昔の思い出に浸りつつ、

新しく美しい駅ターミナルの売店で購入した

『峠の釜めし』を味わいます。