四国に新幹線?ホビートレインプラレール号で四万十川をゆく旅




『四国』に『新幹線』?

はい、『四国』にも『新幹線』がございます。

それも『四万十川』沿いの谷間をガタゴトと走る
世界で最もスピードの遅い『新幹線』でございます。

その名も『ホビートレインプラレール号』

実は『キハ32型』の車両を改造し
かつて活躍した『新幹線0系』を模した外装と
『プラレール』のミュージアムとなっている内装は
強烈なインパクトがございます。

この『世界で最もスピードが遅い新幹線』で
『窪川』から『宇和島』までの2時間半の旅をいたしましょう。

窪川駅で出会ったアヴァンギャルドな電車

『窪川駅』で『特急しまんと1号』を下車し
架線橋を渡って隣のホームにまいりますと

奇妙な一両編成の車両に出会います。

白い車体にコバルトブルーのストライプ

『ホビートレインプラレール号』でございます。




進行方向『窪川駅』側のボンネットには
『新幹線0系』を模した外装が取り付けられておりますが
運転席の窓の部分は大きく空洞になっております。




進行方向『宇和島駅』側のボンネットには
外装は無く、『新幹線0系』の前面が描かれております。




車内に足を踏み入れると
インディゴ色の内装に
あちこちに配置された透明ケースの中に
『プラレール』が展示されております。




座席の一部は、実際に『新幹線』で使用された
グレーとブルーの向かい合わせシートが
設置されております。

この『ホビートレイン』

とくに『リゾート列車』というわけでは無く
普通乗車券で乗車できます。

地元のお買い物の方や、通学のお兄さんお姉さんが
普通に乗って来られるのでございます。




9時40分

『ホビートレインプラレール号』は『窪川』を発車

山の中を走るとやがて進行方向右手に
碧く美しく『四万十川』が見えてまいります。

『ホビートレインプラレール号』 は
『四万十川』に沿って、ガタゴトと走ります。

『打井川駅』

『四万十川』を見下ろす山の斜面に立つ無人駅




『海洋堂ギャラリー四万十川』の最寄り駅ですが
実際は6キロも離れているそうです。

『土佐大正駅』から、土日祝祭日に限り
『海洋堂ギャラリー四万十川』行きの路線バスが運行されているそうです。

『窪川駅』を出発して約1時間

『江川崎駅』に到着

ここで電車は20分以上停車いたします



ここでトイレ休憩いたしましょう。

線路を渡り駅舎にまいりますと
化粧室はございます。

ホームで『プラレール号』の
特徴的な外観をしげしげと眺めておりますと
反対側のホームに
派手な色彩の電車が入線してまいりました。

かっぱうようよ号参上!!



『海洋堂ホビートレインかっぱうようよ号』
赤 黄色 緑の派手な車体に
『海洋堂』のロゴが描かれております。




この電車も、しばらく停車いたしますので
カメラを持って、車内を見学いたしましょう。




車内にほ公募で入選した『河童』をモチーフとしたジオラマや
1分の1サイズの『河童』のフィギュアが展示されております。




さて、『プラレール号』に戻りましょう。

カメラを持って『プラレール号』を見学していた
『かっぱうようよ号』の人達も戻っていかれました。




『ホビートレインプラレール号』は
『江川崎』駅を発車

『四万十川』に別れを告げ
愛媛県の山間を走ります。

終点『宇和島駅』に到着いたしました。

なぜ新幹線0系車両?

『四国』の『四万十川』沿いをゆくローカル線に
なぜ『新幹線0系車両』をモチーフにした
テーマ車両が走っているのか?

実は、『四国』の『愛媛県』と『新幹線』には
深い関わり合いがございます。

『新幹線の父』と呼ばれた
第4代『国鉄』総裁『十河信二』(1884ー1981)は
『愛媛県新居郡中村(現在の『新居浜市』)の出身であったからでございます。

勉学の為上京した『十河』は『東京帝国大学』を卒業後『鉄道院』に就職
『鉄道院総裁』である『後藤新平』に出会い
『標準軌(レール幅が1435mm)』への改軌の必要性を説かれ、感銘を受けます。

『十河』は33歳で『アメリカ』に渡り
『日本』とは比べものにならないほどの
優れた鉄道設備を目の当たりにし
国力の差を思い知らされ帰国します。

その後『十河』は、『関東大震災』からの復興の為
『帝都復興院』で働きますが
汚職事件に巻き込まれます。
控訴審で無罪を勝ち取ったものの
嫌疑をかけられたことで、退官に追い込まれます。

46歳の『十河』は『満洲』に渡り
『南満州鉄道株式会社』の総裁を務めますが
54歳の時に『満州事変』の為に
またもや辞職に追い込まれます。

戦後の復興めざましい昭和30年(1955年)
『十河』は第4代『国鉄』総裁の職を引き受け
『世界銀行』から1億ドルを借り入れ
『新幹線』の建設を推進しますが

その完成を持たず、退官し

1964年10月1日
『東京駅』で行われた『夢の超特急』の落成式には
『十河信二』の姿はありませんでした。

しかしその後、時が経つにつれ
1964年の『東京オリンピック』の年に
『夢の超特急』を走らせるという
一大国家プロジェクトを実現に導いた
『十河』の功績は人々から評価され
『新幹線の父』と呼ばれるようになりました。

現在『東京駅』の『東海道新幹線』の18・19番ホームには
『新幹線』開業の記念碑が建っており
『十河信二』の肖像画がレリーフとして飾られております。

私が初めて『新幹線』に乗ったのは
5歳のころでしてね。

丸い大きなボンネットの
真っ白な車体に
コバルトブルーのストライプが入った姿を見た時の感動は

年老いた今でも、鮮明に覚えております。

両親に手を引かれ、一歩車内に入れば
3脚ー2脚と並ぶシルバーとブルーのシートがずらりと並ぶ未来の乗り物

『東京』と『新大阪』をたった4時間半で結ぶ
当時としては驚異的なスピードを

車窓の向こうに飛ぶように流れる景色から
胸をときめかせながら体感いたしました。

当時は、『新幹線』にも『食堂車』がございましてね。

発砲スチロールの器に盛られた『カレーライス』は
今にして思えば、ごく普通の『カレーライス』でしたが

『食堂車』のカウンターに腰掛け
高速で流れ去る景色を見ながらの食事は
何か『特別なもの』に感じられました。

あれから時は流れ

『新幹線のぞみ号』が登場し
『東京』から『新大阪』まで2時間で行ける時代となりました。

『東京』から『新大阪』まで
日帰り出張も可能となり、利便性が向上するとともに

『食堂車』も姿を消し

丸いボンネットにまん丸のライト
未来的でありながら
どことなく愛くるしい『0系車両』も
2008年12月14日をもって
人々に惜しまれながら引退いたしました。

今や、『四万十川』沿いの美しい景色の中を
のんびりと走る『新幹線0系』に揺られておりますと

そうした歴史と、子供の頃の記憶に
想いを馳せるのでございます。

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