切絵の感性を育てたもの

未知の世界へのあこがれ

私が生まれたのは、1962年。

日本が敗戦の焼け野原から
めざましい復興を遂げ

2年後の東京オリンピックに象徴される
いわゆる『高度経済成長期』初期の時代でした。

司法修習生の父と、栄養士の母は、東京で結婚し

私が生まれてすぐに、新潟への転勤が決まります。

両親は、幼い私を背負って
引っ越し荷物とともに、新潟へと赴任します。

裁判所のすぐ裏の、古い木造の官舎が、私たちの家。

この頃のかすかな記憶は
その後新潟を去る直前の、3歳の頃のもの

なにしろ、両親に心配ばかりかける子供でした。

裁判所勤めの父

家事に追われながら、はじめて授かった私を
いとおしく育てる母。

そんな両親の愛情も知らず
母の目の届かない隙を狙って
愛車の緑色の三輪車にまたがり
今日も世界を探検です。

私を呼んで、返事がないことに気が付いた母は
家事を放り出して、私の捜索を開始します。

白山公園に続く通りで

裁判所裏手のコークス置き場で

『また、こんな、とんでもないところに!!』

今にして思えば、なんと母をひやひやさせたことか。

新潟電鉄『白山前駅』の
路面電車の線路に
三輪車でぎりぎりまでアプローチしたときは
さすがに冒険でした。

次の瞬間、父のゲンコがおつむに飛んできました。

父につれられ、家に戻った私。

『まあ、いったいどこに行っていたの?!!』

『うん、とんでもないところ。』

両親の愛情を一杯にそそがれながら育ったこ

当時の私は知る由もございません。

苦しい家計をやりくりして
やっと購入した『テレヴィジョン受像機』

父も母も、この超高価な文明の利器に
こころときめかせたに、ちがいございません。

あろうことか、私は、この

三種の神器の一つである超高価な機器の上に

よじ登るのが大好きでした。

高いところから見る部屋の風景は
まさしく冒険に満ちたものだったに違いありません。

そして、部屋の外

塀をこえた新潟の街と信濃川

どんよりとした空の下に、荒波をたてる日本海

その向こうにある、ソヴィエト連邦の軍港『ウラジオストック

はるかなる世界を、幼い目で、見通そうとしていたのかもしれません。

感性に影響を与えた2つの要素

三つ子の魂百までと申しますが

幼少のころに見たり、聴いたり
体験した事柄は、

その後の人間形成に、少なからぬ影響を
与えるものでございます。

私の場合

芸術的創造感性の原点ともいうべき
影響を与えたものが、2つございます。

その一つは

『イマイのサンダーバード・シリーズ』

南海の美しい孤島『トレーシー・アイランド』

この世の楽園と見まごう島を『秘密基地』とし

世界のあらゆる事故、災害に
スーパーメカの数々を繰って

果敢に人命救助活動を展開する
『国際救助隊』

当時、テレビシリーズとして放送された
イギリスの特撮番組

『サンダーバード』は

幼い私の心を鷲掴みにしました。

その映像のすばらしさは
今なお時代を感じさせない臨場感あふれるものでございます。

そしてテレビの画面狭しと、縦横無尽に活躍するスーパーメカを、
忠実に再現した『今井科学』のプラモデル

『サイダーバード』シリーズは、
まさに垂涎のアイテム。

小松崎茂画伯の絵が描かれたプラモデルの箱を、
手にした時の喜びは、今でも忘れられません。

もちろん、この高価なアイテムを
幼い私が組み立てられるはずもなく

豪華な箱を開け、設計図を広げ
心ときめく色で整形されたランナーの部品を、
一つ一つ丁寧に切り離し

ナイフでバリを整形

接着剤がはみ出すこともなく

きれいに作り上げてゆく父の前で、正座しながら

その工程をじっと見ていました。

父は、たいへん手先の器用な人でした。

タバコの銀紙で、精巧な舟を折ったり

マッチ棒を三角形に積み上げ

複雑な櫓を作る父は
『なんてすごいんだろう』と思っておりました。

父の器用さを、私の遺伝子が

ちゃんと受け継いでいることを知るのは

もうすこし時間が経ってからのことでございますが

この『サンダーバード』のプラモデルを作る
父の姿を目に焼き付け

しっかりと、その技術を学んだのでございます。

私の芸術的創造感性に影響をあたえた

今一つの原点

それは

『マッターホーンのケーキ』

でございます。

『マッターホーン』をご存知でしょうか?

スイスの、あの名峰-ではなく

東横線の学芸大学にある、老舗の洋菓子店です。

ガラス張りのお店に入ると、ショウケースには

『イチゴショート』

『モンブラン』

『シュークリーム』

『サバラン』

『バナナボート』・・・

宝石のようなケーキが並び、店内の棚には

可愛らしい箱に入ったクッキーやサブレが並びます。

どれにしようか、迷っている私たちを

店員さんたちが、笑顔で迎えて下さいます。

幼少の頃、実家のある学芸大学で過ごせたことは

私にとって幸運でございました。

なぜならば多感な幼少期に

マッターホーンのケーキのおいしさを
体験することができたからでございます。

大人になって、『バターケーキは、どうも苦手で・・・』
という方に何人かお会いし

あんなおいしいものが
どうして嫌いなのだろうと、不思議に思いましたが

その方々は、きっと『マッターホーン』のバター・デコレーション・ケーキを
召し上がったことが無いのだろうな、と納得いたしました。

お誕生日や、何か特別がんばって

いいことがあったとき

お店でケーキを買ってもらい、ワクワクしながら家に帰ります。

鈴木信太郎画伯の素敵な包装紙を開き

白い箱を開けると、

まるで、西洋の高価な美術品を思わせる

デコレーションケーキが姿を現します。

母に切り分けてもらい、お皿にのせ

スプーンで大事に大事にいただきます。

一口、口に入れた瞬間

バタークリームはまるで淡雪のごとくふわりと溶け

シルクのようなスポンジとともに

口いっぱいに広がります。

この感動は、その後の私の創造的感性を形作る
大きな要素の1つになったのでございます。

『イマイのサンダーバード』

『マッターホーンのケーキ』

この2つの原点によって育まれた
芸術的創造感性を、最大限に発揮し

すばらしい作品の数々を
お届けいたします。

どうぞ、ご期待ください。

 

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