極東切絵画家始動!

学園祭のポスターを切絵で

大学に進学し、美術研究会に所属いたします。

圧倒的に多い油彩部門に対し、少人数の水彩部門で
黙々と絵画制作に励む日々でございます。

大学3年になり、学園祭の代表実行委員に選出されます。

法学部においては、美術系のサークル出身者は
重宝されるものでございます。

ポスター制作のために、スタッフを送り出したり
部員総出で、ケートを作ったりと、
大忙しの日々でございます。

広報部門を担当した私

大学祭の『顔』ともいうべき
ポスターをデザインしなければならないのですが

もともと、デザインが苦手な私

たちまち行き詰まり、悶々とした日々を送ります。

そんな私を、見るに見かねた、
同じ実行委員会のバドミントン部の主将

『いっそのこと、切絵でやってみたら?』

と、提案してくれます。

切絵

かつて、北京放送から、ベリカードに同封されてきた

あの奇跡の技法!!

なるほど、切絵ならば、風景や人物など

具象画を描いても、デザインぽく、なるかもしれない・・

アルフォンス・ミュシャのように

竹久 夢二のように

幸い、美術研究会には、切絵のノウハウを持った部員がおりました。

彼にやり方を教わり、見様見真似で試作品を作ってみたところ

なかなかいいテイストでございます。

それからというもの、夢中になり仕上げたポスター原画

シルクロードの『敦煌』を題材とした、異色のポスターは

学園内外で、大きな反響を呼びました。

 

当時、『ぴあ』の大学祭特集号に

読者プレゼントとして、ポスター60部を提供させていただきましたが

編集部のご担当の方から、あとでお伺いしたお話しでは

60部は、あっというまになくなったそうでございます。

この、大学祭実行委員の一連の活動以来

切絵を一生かけて、取り組んでゆくことになったのでございます。

多忙な日々の中で身に着けた特技

大学を卒業して、情報処理関係の会社に就職しました。

入社後1か月半の間、COBOLという事務系のプログラム言語を
詰め込み式で頭に叩き込まれ

プログラム開発部隊に配属されます。

開けても暮れても、プログラムを作り続ける日々が

約1年半続き

その後、システムエンジニアとして
大型プロジェクトに携わります。

金融系の、大規模かつ複雑なシステム

タイトな開発スケジュールに、朝から深夜まで仕事に追われ

トラブルが起これば、夜中であろうが休日であろうが

会社に呼び出され・・・

過酷な日々の中、息をひそめるように

細々と絵を描いていくうちに

ひとつの特技を身につけます。

それは、どんなに短い時間でも、目一杯集中して絵を描くこと。

深夜に帰宅しても、たとえ5分でもいいから、絵に向き合い、集中すること。

こま切れの時間でも、コツコツ積み上げていけば
いつかは作品が仕上がります。

仕事でいっぱいいっぱいの日々のなか

カメの歩みのごとく、創作活動を継続してまいります。

就職して4年目、26歳で結婚。

翌年に北鎌倉に引っ越し、新生活をはじめます。

鎌倉は、自然が大変美しく、そこに暮らす人々も穏やかで

本当にすばらしい場所でした。

29歳で、長女が誕生。

仕事は相変わらず過酷でしたが

深夜帰宅して、娘の寝顔に癒され

休みの日は、、疲れを振り切って
娘を背負って、鎌倉の山々を飛ぶように歩き回ります。

公募展への挑戦

このころから、公募展の出品に挑戦し
作品が入選するようになります。

会社からは、年3回発行される社内報の

表紙の制作依頼が来るようになります。

切絵の表紙が大変評判となり

その後10年にわたり、30号の表紙を制作いたしました。

32歳で横浜に新居を購入。

30年という、気の遠くなるような住宅ローンを

こつこつと返す日々が始まりました。

娘も、幼稚園、小学校と

日々すくすくと成長してゆきます。

このころ、東京都美術館の、とある公募展に
毎年作品を出していましたが

入選はするものの、なかなか賞に手が届かない。

切絵は、作品のタッチがアニメのようになってしまう

都美術館の、巨大な壁面に飾られても見劣りしないような
100号クラスの、大きな作品が描けない。

周りの人々が、次々に賞をとり、会友、会員になってゆくなかで

徐々に焦りを覚えてゆきます。

そんな時、私が尊敬する先生のひとことが、突破口をあたえてくれます。

『密度で勝負しろ』

一枚の絵に対して、背景もふくめ、細部をこれでもかというくらい

徹底的に切り込んでゆく方法

一見して、絵のセオリーからかけ離れているような気がいたしますが

これにより、絵に重層感が加わり、アニメタッチから脱却することができる。

作品が大きくなっても、密度が変わらなければ
ダイナミックさを維持できる。

もちろん、制作にはとてつもない時間と労力を要します。

でも、これまで身に着けた持続力と集中力があれば、何とかなる。

いっぺんに仕上げる必要はない。

今まで通り、細切れの時間を有効に使ってゆけば

必ず、いつかは完成する。

大きな展覧会で、周りの油絵や日本画と
対等に渡り合ってゆける

自分だけの技法を、ようやく見つけました。

上野の森で待望の受賞

20世紀も終わりに近づいた頃

金融ビッグバンの特需と、西暦2000年問題への対応

仕事の忙しさはさらに加速し
何日も家に帰れない日々が、何か月も続きました。

身も心もボロボロになりながらも、何とか乗り越えられたのは
家族の支えがあったからだと、感謝しています。

38歳、西暦2000年問題の終結とともに

システムエンジニアから、コールセンターに配属替えとなり

地獄の日々が終わりました。

中断していた、制作活動を再開。

42歳 『日本の自然を描く展』で、みごと『優秀賞』を受賞。

念願の、『上野の森での受賞』を果たしました。

だが、これに甘んじたのが、よくなかった。

伸び悩みの日々

美術館まで作品を搬入したり、搬出したり
意外と手間のかかる公募展

応募すれば、出品料も結構かかる。

インターネットに作品を投稿すれば

はるかに安くて楽だと思うようになりました。

絵のサイトに、作品を投稿。

最初の頃は、掲載すれば5分で『SOLD-OUT』でしたが

ある時期を境に、まったく売れなくなってしまった。

画家を募集していた、とあるギャラリーに

メールで作品を送ってみましたが

『あなたの絵は、うちでは扱えない』と

突っぱねられてしまった。

今にして思えば、公募展での受賞で油断が生じ

真摯に作品と向き合おうという覇気が

鈍ってしまっていたのだと思います。

なんと、愚かなことか・・・

極東切絵画家として

51歳 夫婦でモンゴル7泊8日の旅に出ます。

いたるところに建設中のビルが立ち並び

人と車がごった返す『ウランバートル』

ホテルから、ワゴン車にたくさんの食料を積み込み

30分ほど市内を走り抜ければ

はてしない大空と、鮮やかな若草色の大草原が
どこまでも広がります。

穴だらけの道路、砂埃が舞う凸凹な大地を

ひたすら西へ470キロ

ハンガイ山脈の麓に広がる『ツァガンスム』は
それは美しい場所でした。

広大な空と、果てしない大草原

そこで暮らす遊牧民の人々

ゲルでの、快適な生活

それらは、鈍っていた私の創作意欲を、ゆさゆさと強烈に揺さぶります。

実に10年ぶりに、自らの作品の真価を問うべく
ふたたび公募展に挑戦いたします。

52歳 『鎌倉美術展』で入選

53歳 『鎌倉美術展』で『マツダ油彩具賞・新人賞』受賞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時、『一線美術会』の理事長より、『うちにも出してみないか?』
とお声がけいただき、突貫工事で作品を制作。

『一線美術展』に入選。賞の候補まで行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

54歳 『鎌倉美術展』に入選。同会の会友に推挙されます。
そして、『一線美術展』で『一線美術新人賞』を受賞。同会の会友に推挙されます。

 

『モンゴル』の旅以降、年に一度は夫婦で海外を旅行し、
その時の想い出をもとに、切絵制作に励む日々でございます。

古来中国より伝わる伝統技法『切絵』

筆では表現できない、独特の風合いを持つ技法

この『奇跡の技法』のすべてを
お伝えしてまいります。

どうぞ、ご期待ください。

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