明治時代ー西洋文化が怒涛の如く押し寄せ
急速に近代化を遂げた時代の渦中
日本文化の素晴らしさを唱え
その発展に大きく貢献した人物として知られる『岡倉天心』
東京美術学校(現東京芸術大学)を創設した思想家として
また『ボストン美術館』の中国 日本美術部長として
様々な功績が今に伝えられております。
明治三十六年
西洋化の一途を辿る近代日本の動きに疑問を持ち
西洋とは異なる日本の伝統文化の精神を探求すべく
『天心』はここ『五浦海岸』に移り住み
ここを活動拠点として、志を同じくする
『横山大観』『菱田春草』『下村観山』らと共に
日本画の基礎を築き上げてゆきます。
切り立った崖や入江が複雑に組み合わさる『五浦海岸』の海岸線
海に突出した崖の上に凛として建つ『六角堂』
荒波を越えて日本文化と芸術の精神を世界に発信しようとする
『天心』の不屈の精神を表しているようです。
『五浦観光ホテル別館ー大観荘』より歩いてすぐ
『天心遺跡』を訪れました。

入江と断崖絶壁が複雑に連なる海岸線に
『茨城県の温泉』

『愛媛県松山市』の中心に位置する
『日本三大古湯』のひとつとして名高い
『愛媛県』の『八幡浜駅』―『松山駅』間をゆく
