ルアンパバーンを一望できる人気スポット・プーシーの丘

ただでさえ小さく狭い丘の頂上に
夥しい人々の群れが押し寄せます。

すれ違うのもやっとの状況の中で
丘の頂上に建つ黄金色の寺院を
ようやく一周できました。

丘の一角にある錆びついた砲台は
かつてここが戦場であったことを
無言で物語っていますが

ひしめき合う人々の視線は

眼下に広がる『ルアンパバーン』の街並みと
悠久の流れを育む『メコン川』と『カーン川』

その先に広がる山々の稜線に
沈みゆく夕日に注がれております。

いまや『世界遺産』の街として名高い
『ルアンパバーン』

『アジア』から
『アメリカ』から
『ヨーロッパ』から
『南半球』から

国境を越え海を越え、この地にやってきた人々

言語も宗教観も文化も、肌の色も違う人々が

この狭い丘の上にこぞって集まり

そろって同じ方向を、笑顔で見つめます。

彼らの視線の先にあるのは

森と川と寺院に囲まれた静かなこの街を照らし
山々の稜線にゆっくりとに沈みゆく太陽

彼らに答えるように
黄金色の柔らかな光が、その笑顔を照らします。

プーシーの丘に登る

古都『ルアンパバーン』

街のいたるところに、お寺がございます。

ジャカランダが咲き乱れる境内を

朱色の袈裟を着たお坊さんが
掃き清めていらっしゃいます。

こうした風景を見ているだけでも
心が和んでまいります。

『王宮博物館』の向かいに

『プーシーの丘』に至る階段がございます。

ゆっくりと、階段を登ってまいりましょう。

ナイトマーケットの準備がなされている
『シーサワンウオン通り』を、一望いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと休みながら、階段を登ること15分

『プーシーの丘』の頂上に到着いたしました。

たくさんの人々で、あふれかえっております。

人々でごった返す頂上

今や『世界遺産の町』として大人気の『ルアンパバーン』

世界各国から、たくさんの人々が訪れます。

この美しい街を一望できる、丘の上に
人々が殺到するのも、しごくもっともなお話しでございますな。

 

『プーシーの丘』より、北を見れば『メコン川』

『チベット高原』に流れを発し
『中国雲南省』
『ミャンマー』
『ラオス』
『タイ』
『カンボジア』を経て
『南シナ海』へと流れ込む
全長4,200キロメートルの大河でございます。

そして、その悠久の流れの一部は
『ルアンパバーン』の街の東側で支流となり
『カーン川』として東へ、南へと流れてまいります。

『ルアンパバーン』の東側
この『プーシーの丘』からは山頂の森により見えませぬが
東から南に土光する『カーン川』を隔てて
『ルアンパバーン国際空港』がございますし

南へ約3キロほど進めば、2万人を収容できるスタジアムがございます。

『プーシーの丘』を中心として、街を走る楕円形の環状道路
観光の中心地でもあるこの辺りだけでも、19の寺院がございます。

そして『ルアンパバーン』の街のさらに向こうは

360度どちらを向いても
奥深い山々と森が広がっております。

どこまでも広がる山々と森には
『クアンシーの滝』に行くときに訪れた『バン・ロング』や
クルーズ船『ナヴァ・メコン号』で立ち寄った
『バン・サーン・ハイ』のような村が点在しております。

動乱の歴史に翻弄されたラオス

その昔

14世紀から18世紀にかけて
現在の『ラオス』のほぼ全域を支配した
『ラーンサーン王朝』

『ファー・グム国王』のもと
『ラーオ族』の思想と
『大上座仏教』(お釈迦様の教えを厳格に守ることを重んじ
出家して修行を積んだ者のみが、悟りの境地に達することができるとする考え方)
の思想を統合し、発展した王朝です。

しかしながら、歴史の流れとは無常なもの
『ラーンサーン王朝』もまた時代の流れには抗えず
三つの王国に分裂し、衰退の一途をたどり
20世紀には、『フランス』の植民地となります。

1945年 『日本軍』は『明号作戦』を発動し
この地を支配していた『フランス軍』を撃破

その知らせを受けた『シーサワンウオン王』は
『ラオス王国』の復活を宣言しいますが、その直後
『日本』の敗戦により、この宣言を取り消します。

『ラオス王国復活』を悲願とする『独立派』の人々は
『ラーオ・イサラ』を組織し臨時政府を樹立しますが
ふたたびこの地に侵攻してきた『フランス軍』に駆逐され

指導者の一部は『タイ』の亡命し
『ネオ・ラーオ・イサラ』を組織し
『第一次インドシナ戦線』を戦い抜きます。

1949年 『フランス連合国』の一員として
『ラオス王国』の建国が認められるのですが
右派・中立派・左派の対立により内線が勃発し
さらに『ベトナム戦争』に巻き込まれます。

そして四半世紀後

1975年 『ラオス人民民主主義共和国』が樹立され
現在に至っております。

『ルアンパバーン』は1995年に『ユネスコ世界遺産』に登録されて以来
人気はどんどん高まり、世界中から人々が観光に訪れ
夕日が美しい『プーシーの丘』も、今や超満員でございます。

夕日に照らされたたくさんの人々の笑顔

丘の頂上に佇む、たくさんの人々の笑顔が
夕日に照らされております。

激動の時代に翻弄され
列強国の狭間で
幾度か大きな戦争の舞台ともなった『ラオス』

ここ『プーシーの丘』から
山々と悠久の流れに沿って広がる
寺院の点在する静かな街の風景は
そうした激動の歴史の跡を感じさせることなく
沈黙を守っているようです。

今や『世界遺産の街』として名高い『ルアンパバーン』

世界中から色々な国や民族の人達が訪れ
この狭い『プーシーの丘』の上でひしめき合い
美しい山々と街並みを見下ろす人々の笑顔を
夕陽が照らしている-

大袈裟かもしれませぬが
ここ『プーシーの丘』には
私達人類が目指す『理想郷』の姿があるような気がしてなりませぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人々の間をくぐり、丘の上の寺院の周りを
一周いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼下に広がる古都の絶景に判れを告げ

登ってきた方向とは、反対側の階段を
降りてまいります。

カーン側沿いの通りに、降りてまいりました。

一旦、ホテルに戻ります。

娘は、これからトニーと、スタジアムへ行き
サッカーの観戦をするのだそうです。

トニーが、ホテルまで迎えに来てくれるのだそうです。

ふたたびナイトマーケットへ

陽もすっかり暮れて、暗くなってまいりましいた。

私達夫婦は、再びナイトマーケット見物に出かけます。

『シーサワンウオン通り』から、一歩狭い路地へと
足を踏み入れれば、賑やかな屋台が連なります。

櫛に刺さって山のように盛られた、鳥や魚の丸焼き

メロンソーダ色のスパゲッティのような麺

狭い道の両側に広がる屋台と

テーブルについてお酒とともに
お料理をかきこむ大勢の人々

大通りの清々としたマーケットの感じとは対照的に
大いに、活気にあふれております。

夢中になってカメラを構える私に
巻き毛の背の高い白人のお兄さんが
声をかけてくださいました。

『Amazing?(おもしろいね!)』

『Yes!Amazing.Its Wonderful!!(おもしろいですよね。ホント、楽しいですね!!)』

『ルアンパバーン』最後の夜

ホテルに戻った後は、テラスでのんびりと
ビールで乾杯いたしました。

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