『ユジノサハリンスク』より車で約2時間
『間宮海峡』に面した『ネベリスク』は
『サハリンのクリミア』と言われるほど
風光明媚な場所でございます。
海岸線に沿って連なる山々の稜線と
水の澄んだ『間宮海峡』が織りなす風景は
まさに必見でございます。
『トド』の生息地としても知られる『ネベリスク』
早速、巡ってみることといたしましょう。
『ユジノサハリンスク』より車で約2時間
『間宮海峡』に面した『ネベリスク』は
『サハリンのクリミア』と言われるほど
風光明媚な場所でございます。
海岸線に沿って連なる山々の稜線と
水の澄んだ『間宮海峡』が織りなす風景は
まさに必見でございます。
『トド』の生息地としても知られる『ネベリスク』
早速、巡ってみることといたしましょう。
『ユジノサハリンスク』より車で約2時間
『間宮海峡』に面した港町『ホルムスク』を訪ねました。
ここは『日本』統治時代には『真岡』と呼ばれていた地域で
当時を物語る史跡が、今も多く残っております。
1945年8月の『ソ連軍侵攻』により
たくさんの方々が犠牲になられた悲劇の街でございます。
『間宮海峡』を見下ろす静かな街
『ホルムスク』の見どころを巡ってまいりましょう。
『内地のみなさん、これが最後です! さようなら さようなら!』
1945年8月20日
『樺太』の西『間宮海峡』に面した港町
『真岡』にも『ソ連軍』は上陸してきました。
絶え間ない艦砲射撃と想像を絶する銃撃戦の中
『真岡郵便局』の電話交換手として
『樺太』から船で脱出する人々と
『北海道』本土との通信業務を
最後まで守り抜き殉職した、19人の人々
『北のひめゆり』とも言われる『真岡郵便局事件』から
72年の歳月が流れました。
『間宮海峡』の港町『ホルムスク』と
『真岡郵便局』跡地を訪ねました。
8月15日は、『終戦記念日』でございます。
昭和20年8月14日
『日本政府』は『ポツダム宣言』を受諾
翌15日
『昭和天皇陛下』の『玉音放送』により
人々は『日本』が負けたことを知って涙する
これが『終戦の日』であると
私達は、学校でそのように教わりました。
しかしながらまさにこの時
はるか北の『樺太』では、凄惨極まりない
『ソ連軍』と『日本』の人々との激しい戦争が
繰り広げられていたことを
知る人は、あまりにも少ないのでございます。
『ソ連軍』の『樺太侵攻』により
当時40万人いた『日本人』のうち
10万人は『北海道』に疎開
『樺太侵攻』による『日本人』犠牲者は
三千七百人と言われております。
『ユジノサハリンスク』から西へ車で約2時間
『間宮海峡』を見下ろす『熊笹峠』
『樺太の戦い』の激戦地を訪れました。
8月の『サハリン』は、まるで高原リゾートのように
涼しく爽やかでございます。
『ユジノサハリンスク』は、
道路が碁盤の目のように、東西南北にまっすぐですので
私達夫婦のように外国から来た人にとりましても
歩きやすい街と申せましょう
『ユジノサハリンスク』には、街のあちこちに見どころがございます。
丸一日あれば、これらの見どころを徒歩で巡ることができるのでございます。
これらの見どころのいくつかをご紹介いたしましょう。
もはや『日本食』は、世界中で大人気
『ロシア』におきましても、その例にもれず
ここ『ユジノサハリンスク』でも
『回転寿司』もあるほどに
『日本食』のお店が増えております。
さて、『ユジノサハリンスク』で
ぜひともおすすめしたい『日本食』のお店がございます。
『ふる里』
お料理のお味は、もはや
『ロシア』政界財界の要人御用達の
老舗中の老舗でございます。
オーナーの宮西 豊さん
『サハリン』の人々のために、さまざまな慈善活動を展開され
『日本人』でありながら『ロシア』の名誉国民となられた方
でいらっしゃいます。
『ロシア』で最も有名な『日本人』
ご本人にお逢いし、お話しを伺うことができました。
ユジノサハリンスク駅』に併設された
『鉄道歴史博物館』を見学しております。
『鉄道資料室』で『サハリン』の鉄道の歴史について熱く語ってくださった
アンドリュー館長
今度は、屋外展示場に案内してくださり
機関車やラッセル車など
珍しく、また貴重な車両の数々を
見せて下さいました。
展示車両の中には、日本から寄贈された
『JR東日本』の車両もございました。
これらの展示物について、ひとつひとつ
見てまいりましょう。
『サハリン』5日間の旅の2日目
私達夫婦は、『ユジノサハリンスク駅』に併設された
『鉄道歴史博物館』を見学いたします。
鉄路の横の屋外展示場には
蒸気機関車やラッセル車など
珍しい車両が展示場されており
道路を隔てて、屋外展示場の向かいの建物の二階は
鉄道資料室となっております。
館長のアンドリューさん
はるばる日本からやって来た私達夫婦を
暖かく迎えてくださり
『日本』と大変深く関わりのある
『サハリン』の鉄道の歴史について
熱く語ってくださいました。
『ユジノサハリンスク』の街
あなた様は、どのような街を想像されますでしょうか?
厳しいコンクリートの巨大なアパートメントが立ち並ぶ、色彩に乏しい街?
私も実際に『ユジノサハリンスク』を訪れるまでは、そのようなイメージを抱いておりました。
そのイメージは、『ユジノサハリンスク』に来た途端、吹き飛んでしまったのでございます。
『ユジノサハリンスク』の街は
『札幌』の街をお手本に造られております。
街を縦横に走る碁盤の目状の道路は大変広く
歩道には花壇があり色とりどりの花が咲き乱れております。
建物も色とりどりで、カフェやマーケットは可愛らしいものばかり
道の両側には、白樺木々が並びます。
8月の『ユジノサハリンスク』
まるで高原のリゾート地のように
爽やかな街を、しばし散策いたしましょう。
『サハリン』のレストランは、『カフェテリア』方式
キッチンカウンターから、お好きなお皿をチョイスし
トレイに乗せ、レジでお金を払う方式
を採用しているお店が、多いのでございます。
また、ホテル内のレストランでも
この方式を採っているところがございます。
もし宿泊プランに朝食がついており
フロントで発行された朝食券に、数字が書かれていた場合
たとえば『400』と書かれていた場合
それは『400ルーブル』分の、カフェテリアチケットと
ご判断頂くのが、よろしいと存じます。
『日本』のホテルのように、朝食会場でチケットを渡し
あとは好きな料理をテーブルに持ってきて食べる
そのような先入観により
レストランのレジに座っている女性に
チケットをお渡ししたところ
ロシア語で何か説明されましたが
さっぱりわかりませぬ。
『400ルーブル分のお料理を、選んでくださいね』
と言われたことに気づくまで
すったもんだいたしました。